昨年の桜の咲く頃、親父は独りで他界した。
傍に居てやれなかった事を今でも悔いている。
その10年以上も前、お袋も独りで他界した。
親父は勤務中であった。
人の命は儚く、であるからこそ尊く、重みのあるもの。
僕が人の死を体感したのは、いつの頃だったんだろう。
母方の婆さんが若くして他界したときでも、僕は人の死というものをリアルに感じる事は出来なかった。
婆さんが亡くなったのは40年も前のことになるだろうから、非礼は容赦願いたいが経験値が満たない幼少期の体験などというものはそんなものであろう。
だがその時、親父が鬼の様な形相で、借りてきたクラウンを運転して弔問客を送迎していた様はよく憶えている。
パワーウィンドウも珍しかった昭和中期の頃、せっかくの高級車だし僕も乗せて貰いたかったのだが、息子の僕でさえ終には叶わなかった。
昨年、親父が乗っていた20年物のクラウンを潰した。
ようやく手に入れた憧れの車だったに違いないのだが、主が居なくなってはその存在価値はない。
実際、ステアリングはガタガタで真っ直ぐ走らず、エンジンはいつタイベルが切れてスピンするかも分からない代物であった。
車内はタバコのヤニでドロドロで、旧車好きの僕としても、さすがに諦めた。
このまま一緒に送ってやる方が良いと想った。
親父が生前の頃に、そんな車を掃除してた時、シートの下から梅干の種がこぼれてきた。
不思議がって親父に聞いたら、毎朝お袋の出勤時には親父がクラウンを走らせていたそうだ。
毎朝お袋は早起きをして親父の朝餉を用意し、二人でようやく手に入れた車中で、ついでに作った自分用の梅干おにぎりをクラウンの中で食べて、二人だけの時間を満喫していたのであったそうだ。
そんな車を…、乗り心地が良い…、と言ってくれた叔母が先日他界した。
親父とお袋の総てを観て、言葉を選んで僕には余計な事を語らなかった叔母が…
そんな叔母の下に、僕はマセラティをぶっ飛ばす。
待ってておくれ、明日朝行くよ!
レクイエムをここに記す。

